デザイン論をあの方に聞いてみました

  • 012:鈴木成一
  • 作品の個性を引き出してビジュアル化するブックデザイン
  • これまで8000冊以上の装丁を行ってきた、
    鈴木成一さん。
    ブックデザインの第一人者だ。
    その驚異的な仕事量と表現の幅の広さは
    どこから生まれるのか。
装丁とは作品の個性を表現する仕事

おそらくこの記事を読んでいる人の書棚には、必ず鈴木成一さんが装丁(ブックデザイン)した本があるだろう。恩田陸、重松清、村上龍ら人気作家の文芸作品から、劇団ひとりの『陰日向に咲く』やロバート・キヨサキの『金持ち父さん 貧乏父さん』まで、幅広いジャンルと作風の本の装丁を行っている。これまで装丁した本は8000冊以上。年間で多いときは800冊、少なくても500冊を超すという、ブックデザインの第一人者だ。

なぜ、ここまで鈴木さんに装丁の依頼が入るのか。それは、書店でしばらく時間を過ごしてみるとわかる。自分の興味関心から離れていても、目に飛び込んでくる本がある。その本を手に取り、誰が装丁しているのかを確認すると、かなりの確率で「装丁:鈴木成一デザイン室」という名前を目にするはずだ。

「装丁とは、本の個性を引き出し、それを見える形にするデザインです。本はパラパラと立ち読みすることはあっても、すべてを読んでから購入するわけではありません。書店で目にしたとき、一瞬でその作品の個性がわかり、手に取りたくなるようにしなければならない。アーティストとして関わるのではなく、本を見えるようにする<手助け>が装丁という仕事だと思います」と鈴木さん。

鈴木さんが装丁した本は、けっして悪目立ちはしない。不必要に大きな文字を使ったり、飾り立てたりすることがないからだ。しかし、多種多様な作風とジャンルの作品の装丁を行っているにもかかわらず、その本の中に何があるのかをくっきりと表現している。

「本の持つ個性は、本の中にしか存在しません。だから、その個性を装丁で演出するには、自分で作品を読み込むしかない。なぜかというと、読まないと、いつまでも他人事のままで親身になれないんですよ。私にとって、装丁にあたって作品を読み込むことは、<自分のものにする=一体化>させていく作業なんです」

装丁には正解がある

「日曜日はゲラを読み込む日と決めています」という鈴木さん。おそらく装丁の世界でも、これほど作品を読み込む人はいないだろう。なぜそこまでやるかと聞くと、「読み込むと、自由になれるからです」という答えが返ってきた。

「装丁は編集者との打ち合わせから始まります。そこで方向性や、どう売っていきたいかという話をします。たとえば『20~30代の女性にウケる、かわいい感じで』と編集者から伝えられたとします。この段階では、『かわいい』には無数の選択肢があるわけで、そのままでは他の人の感じ方を探りながらビジュアル化していくので、非常にぎこちないものになります。選択肢がありすぎるというのは、そういう意味で不自由なんですよ。しかし、自分で読み込んだ上での『かわいい』は決定的に1つしかない。やるべきことがわかり、思いっきり走るためには、自分で本を読み込んで、自分と一体化させることが必要なんです。自由になると表現に余裕が生まれ、ちょっとだけ見せる、あるいは隠すなど、読者が気になるデザインができます」

鈴木さんは「装丁には正解がある」という。その正解とは、作品を読み込んだ上で、余分なものやノイズを削ぎ落として本質をつかみとることで、初めて導き出されるデザインだという。そのプロセスの話を聞いていると、まるで四角い大理石の塊から、あたかも今、動きだそうとする像を削り出す、彫刻家のようにも思えた。彫刻では削り過ぎたものは、元の形にはもどらない。だが、限界まで削り落とさないと輪郭はぼやけたままで、人の心を動かす作品とはなり得ない。鈴木さんは書き手の作品という塊を削りだし、その本質を露わにすることで、ひときわ心を惹かれる装丁をつくり出しているのだ。

見た瞬間、一発で作品の世界観がわかるデザイン

それでは具体的に鈴木さんの装丁を見ていこう。どれもが作品の個性と世界観を、一瞬にして、見える形にしているものだが、鈴木さんらしさがはっきりと表れているのが、桜庭一樹の『私の男』だろう。装画はマルレーヌ・デュマス。南アフリカ生まれで、自分自身が育ったアパルトヘイト下での経験に基づいた、民族やセクシュアリティの差別と偏見など、社会が抱える闇をえぐり出す、かなり政治色の強い作風の現代美術の画家だ。」

「『私の男』は父と娘の近親相姦の話です。デュマスの絵は人種問題を題材にしているのですが、黒い得体のしれない塊のような男と白い肌の女性とのからみ具合やねじれ具合が、『この作品には、この絵しかない!』と、どうしても装画に使いたかったんです。桜庭さんからは、彼女自身がインスパイアされた写真を装丁に使うことを勧められましたが、自分自身の作品解釈とは違いました。装丁は私の領分ですから、それならば全権を握らせてほしいと、デュマスの絵を使うことを通しました」

これには後日談がある。『私の男』の装丁があまりに衝撃的だったので、他の出版社や装丁家から申し出があったが、デュマスは一切断った。同作の文庫の表紙での使用もNG。 「単なるビギナーズラック」と鈴木さんは言うが、それぞれの作品の本質をつかんでの依頼だったからこそ、デュマスは使用を許諾したのだろう。

「デュマスもそうでしたが、作品の世界観を表現するにはこの絵しかない!というものが、必ず存在するんです。だから、まめにアートフェアを訪ね、常に新しい作品や作家に触れています。どこで、どの本と結びつくかわからないんですが、そうやって新しい出会いを探し続けていないと、装丁の正解はみつかりません」

装丁では、作品世界に沿った装画やイラストを依頼して描いてもらうことが多い。なぜなら、その本の世界観に合致するアートを見つけ出すのには大変な労力がかかるからだ。もちろん、鈴木さんも装画の描き下ろしを依頼もする。だが、力のある文芸作品の場合、描き下ろしの装画では表現しきれないこともある。装丁の表現の幅を広げるために、常に新しいアート作品を探し続けるのだ。

その好例が、沼田まほかるの『ユリゴコロ』。モノクロだった高松和樹の作品を、承諾を受けた上で鈴木さんが加工・彩色して装画に用いた。鈴木さんは以前、東野圭吾の『白夜行』でも、大胆に写真を黄色く彩色した。これもまた、「作品を読み終えたとき、黄色しかない!と思った」と話す。また、古川日出男の『TYOゴシック』のカバーと見返しは写真家・西野荘平・作。高所から撮影した数千枚もの写真をつなぎ、はりあわせ、一枚の空撮写真のようにコラージュしたものだ。

「沼田まほかるは得体の知れない世界を描く注目株の作家。読んだ後、その作品世界が私の中でできあがって、そこから動けなくなる。どうしてもやりたいことがはっきりしているから、装画に使う絵を探しまくって、見つけたのが高松さんの絵。『ユリゴコロ』の不穏な世界観はこの絵でしか表現できない。しかし、モノクロだとエンタメ作品として寂しすぎるので加工・着色をしました。『TYOゴシック』で使った、西野さんの写真も燃えましたね。小説では怪物が東京を睥睨する、『なんてことだ!』と叫び たくなる作品。写真家・西野さんの作品は紙焼き写真を貼り合わせているから、どこか歪んだ感じがある。これが、東京を舞台にした小説の世界観と同じだったんです」

その他の鈴木さんの装丁作品もよくよく見ると、緻密な設計が施され、「この作品には、この装丁しかあり得ない」というところまで昇華させていることがわかる。劇団ひとりの『陰日向に咲く』のタイトル(なんと、鈴木さんの息子さんの字)、重松清の『流星ワゴン』の中心にぽつんと灯る月、どこまでもシンプルな川上未映子の『ヘヴン』と、テイストは様々だけれど、がっちりと作品の個性や本質をとらえた仕上がりになっている。

装丁とは作品に着物を着せる感覚に似ている

今、書籍の販売は厳しい状況だ。新刊制作の予算も減り、制約も増えている。その中で、装丁はどのような道を目指していけばいいのだろうか。

「装丁の仕事は、私が読んだ作品の個性、実体を、デザインにがつんとぶつけていくことだと思います。読者がその本を見た瞬間、一発でわかるもの、今まで見たことがない何かがそこにくっきりと存在しているとわかる装丁が理想です」

お金をかけたからといって、いい装丁ができあがるわけではない。たとえ厳しい制約の中でも、知恵と美意識を研ぎ澄ませて、作品の本質を「見える形」にするデザインは、どんなときも本の魅力を輝かせ、売れるものにする。

012:鈴木  成一(すずき・せいいち)

1962年、北海道生まれ。グラフィック・デザイナー。筑波大学芸術専門学群卒業。大学在学中から装丁の仕事を始め、1992年に鈴木成一デザイン室を設立。エディトリアルデザインを主として現在に至る。これまでに手がけた本の数は8000冊以上。1994年、講談社出版文化賞ブックデザイン賞受賞。

  • 鈴木さんの装丁の仕事と発想法がわかる著書『鈴木成一 装丁を語る。』イースト・プレス/刊  2100円
これまで8000冊以上の装丁をしてきた、鈴木成一さん。その中から120冊を厳選し、なぜそのようなデザインになったかを惜しみなく公開し、自ら解説した本がこちら。「装丁には正解がある」というように、手法と演出の解説は実に明快。資材、印刷・加工のデータが附記されている。現在、イースト・プレスの週刊Web文芸誌『マットグロッソ』で「鈴木成一 装丁を語る」は連載中。本連載をまとめた、単行本第2弾が来年に出版予定。