「用と美」
竹工芸 武関翠篁 プロフィール

 無から有が生まれる。機械も使わず、手と竹だけの親密な、長い長い会話の果てにそれは形づくられていく。東京、荒川区日暮里の工房で竹工芸作家、武関翠篁さんの仕事を見つめていた。竹はまるで糸のように細く、しなやかで強い。すっくと伸びる直線、まろやかな曲線、緻密な編み目模様、軽やかな透かし。ザルや籠など身近な素材でありながら、竹からこれほどに多彩な表情が生まれることに新鮮な驚きを感じた。作品は小宇宙を形成し、見ていると吸い込まれそうな感覚を覚える。
 祖父、翠心、父、翠月と竹工芸を家業とする家の三代目に生まれた。小さな頃から竹に囲まれ、父親の仕事を手伝い教わりながら自然と竹工芸の世界へ。
 「竹を鉈(なた)で割ると実にいい音がするんですよ。子ども心にかっこいいもんだと思っていました。やってみたらそんな単純なわけはない(笑)。ものづくりはみんなそうですが、竹の選び方、ひごという素材のつくり方、編み方など、まず技術をしっかりと身につける。その後でようやく造形やデザインといった“表現”という入口に立てるのです」
 外の世界も見て来いということで、25歳で竹工芸の本場、大分県別府で修業。1年間は技術専門学校に通い、さらに1年、地元の作家、門田二篁(かどたにこう)氏の工房に通い、手ほどきを受けた。その時に、全国には公募展などに作品を出品しながら活躍する竹工芸作家が数多くいることを知る。作家として歩んでいく意識が強くなっていった。

煤竹盛籃「舞扇」
「流文花籃」

 28歳で日本伝統工芸展に出品した作品が初入選する。
 「自分の持っている技術を最大限、詰め込んでつくりました。技術だけで固まったような作品だったと思います。個性の発露というのはそう簡単にはいかないものです。発表展の会場で人間国宝の飯塚小玕斎(いいづかしょうかんさい)先生にお会いしました。先生の第一声は、君はずいぶんと若いけれど、爺臭くなるなというものでした。先生はお歳を召されても本当に若々しく、その後も研究会などで、情熱だ、まず情熱がなければ芸術は生まれない。感動すること、そこから何かが生まれてくるのだと、私だけでなく多くの作家を導いてくださいました。もうひとつ、こんなことも言われました。君はたいへんな仕事を始めたのだよと。当時の私は入選して嬉しい気持ちだけで、なんのことかさっぱりわかりませんでしたが(笑)」
 竹工芸の技術は大きく「編み」と「組み」に分かれる。編みは縦ひごに対して横ひごをからませていく作業、組みは竹を並べて籐のつるで結んで固定していく作業だ。
 一般的に竹は編むというイメージが強いが、作品を見ると非常に細かな作業での組みが随所に使われているのがわかる。

 仕事はひとつの作品に使う竹の材料を揃える、ひごづくりから始まる。そのひごの細さ ! 幅も厚さも1mm以下という極細、極薄のひごが使われることもある。膨大な量のひごを武関さんはひとり、工房でつくっていく。根気のいる寡黙な作業だ。飯塚小玕斎先生が言った「爺臭くなるな」という言葉がなんとなくわかるような気がした。たしかに“たいへんな仕事”だ。

 まるで蕎麦や素麺のように細いひご。1本の丸い竹を鉈で割り、切り出し刀ひとつでさまざまな種類をつくっていく。幅、厚さが同じひごがつくれなければならない。作品によっては幅0.7mm、厚さ0.4mmという極細のものも。わずか0.1mmの差も物差しで計ることなく、人差し指の腹に当て“指あんばい”で確実にわからなければ作品づくりに支障を来すという。
 「竹はどんなに細くなっても反発するエネルギー、つまり弾力があり強い。けれども扱い次第ではポキンと折れる。その折れる限界も知っていなければなりません。竹工芸は建築と似ている部分がありますね。第一条件は強度です。ある部分に強度が偏ると壊れてしまいます。全体のバランスが大切で、無理矢理ねじ伏せると折れたり、これは先人の言葉ですが、“竹が痛がる”と。痛がっている竹はだれも見たくないでしょう」
 その作業は当然、建築と同じく緻密な計算に基づいた設計図をもとにつくられていると思った。

 「ところが私はそれができなくてね(笑)。しっかりと製図をしなさいと教えられたのですが、簡単なイメージスケッチをするくらい。製図してもその通りにいかないんですよ。竹は生き物のようなところがあり、この強さで編んでいくと形が直線的になるとか、こちらのひごに変えたら内側に行くぞとか。竹の言うことを聞いた方がいいときもあります。だから竹に教わりながら協同作業でつくっています」
   さらに難しい点は、たとえば絵画や陶芸の絵付けなら全体を構成したときに、ここに模様や色がほしいと後から足すことも可能だ。ところが竹工芸は形をつくりながら同時進行で模様づけを行っていく。想像以上にいい形、いい模様が出てくると途中で予定変更というのもまま、ある。この先はどうなるのか、同じ編み方でも一段一段が新鮮で、わくわくしながらつくっていますと少年のような笑顔で語る。

 網代、六つ目、櫛目、籠目、麻の葉、亀甲……。編み方の基本は十数種類あり、それらはもう先人の研究によって出尽くしているという。受け継がれてきた財産を使いバリエーションを考えていく。美しい模様が編み込まれ、編みと組みが2重、3重構造で構成された緻密な作品もあれば、まるで鼻歌でも歌いながら感情のおもむくままに造形していったような作品もある。武関さんは後者を即興曲のようなものと言う(もちろんそれらも強度は計算されている)。なるほど、交響曲と即興曲。どちらの作風も魅力的だ。
 心地よい緊張感を保ちながら、軽やかな空気をまとい、そして竹と竹の間に生まれる空間、透かしもまた竹ならではの美の表現だ。

白錆花籃(しらさびはなかご)「清流」

 「透かしは近年、追求してきたテーマでもあります。編んでいない空間がどんな景色をつくるのか、その空間を創るために編んでいくような……。逆の発想ですね。透かしが光を得て輝いたり、影を描いたりする。難しいけれど面白いですね」
 作品のモチーフを常に自然界に求めてきた。波、風、流水、飛雲、風紋……。自然に感動し、その思いを形にする。そんな武関さんの次なるテーマは「貝」だ。巻き貝や二枚貝の持つ自然の曲線を竹で表現してみたいという。製作途中の巻き貝の作業を見せていただいた。ばらばらのひごをつるで結び固定していく、組みだけでの作品。気の遠くなるような、細やかで高度な仕事だ。10本の指は結ぶ、抑えるとフル回転で動く。たしかに巻き貝だ ! 武関さんの手の中でその形が現れようとしていた。


 2009年、武関さんは文化庁の文化交流使としてドイツに滞在した。ハンブルク美術館が江戸末期から明治にかけて活躍した日本の竹工芸作家の祖と言われる、初代早川尚古斎(はやかわしょうこさい)のコレクションを所蔵しており、特別展が開催された。ヨーロッパでは日本の竹工芸にあらためて関心が高まっている。武関さんは尚古斎の研究者として、日本の竹工芸技術の紹介や講演を行った。そのときにあるドイツ人が尚古斎の作品のレプリカを研究のためにつくっていた。編みも組みも見た目はそっくりだが、手触りがまったく違う。尚古斎のものは滑らかでやさしい。使っている一本一本の竹ひごすべてに面取りが施されていた。

 「どんなに細いひごでも両脇の角を落とす。私たちはそれを受け継ぎ、今も当たり前のようにその仕事をしています。鑑賞するだけでなく実際に手に取ることをきちんと考えているのです。日本の竹工芸の繊細さ、奥深さを再認識しました」  「ドイツの人たちの美術や芸術への接し方も印象的でした。私の作品も持って行きましたが、多くの人に触れてもらうことで竹工芸の魅力が伝わればいいし、そのことで多少、傷んでもしようがないと思っていたのです。竹は軽いものです。ところが片手で持つ人なんてひとりもいません。両手でていねいに持つ。その扱い方には感動しました。とにかく日本以上に、ものを大切にする文化がしっかりと根づいていると思いました」

花籃「樹林」
花籃「宗全」
白錆花籃「飛雲」 竹籃 花入れ

 竹工芸と聞けば、和のイメージと捉えられがちだが、武関さんの作品はその範疇を軽々と超えていく。伝統工芸でありながら現代性を感じるもの、モダンなデザインや竹を赤と黒に染めたシリーズなど、和洋を問わず空間を演出してくれる。それこそ作品の持つ力なのだろう。伝統の技と作家の感性で表現した工芸品を暮らしに取り入れてほしいと語る。
 「かつてはどこの家でも大抵、竹の花かごがあったものです。季節の花を一輪でも折々に生ける。なにげないことですが大切なことだと思います。今は中国や東南アジアの竹を使った雑貨が安く売られていますが、日本の竹を使った作家の工芸作品の両方を知っておいてほしいですね。大切にして次の代に残していきたいと思うもの、経年で色が変わり味わいも深くなっていく。そんな本物を見ていると人生も心も豊かになります。100円ショップではそうはいきません(笑)」
 これからも独自のデザインをもって竹の魅力を引き出し、追求していきたいと語る。なにかに感動したときに、ああ、こういうものを竹で創りたいと思う。爺臭くならず常にみずみずしい感性を磨き、そして情熱を持つ。作家として歩み始めたときに言われた師の言葉は、長い歳月を経ても忘れていない。



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